プロフィール
代表者 大平晃子
・・・ 米国宝石学会GIA.GG / カラー&イメージコンサルタント
1971年、3,100gの元気な赤ちゃんでこの世に誕生。
祖父と父の期待を大きく裏切り、待望の3代目跡取りは・・・女の子!だったのです。
余りのショックに落胆(憤慨!?)した父の代わりに、父の親友Kおじさんが私との初対面をしたのだとか。
その後、高校を卒業するまで門限は18時半。
日が暮れるのが早い冬は、『暗くなる前が門限』です。
疑問を持ちつつも守っておりました。
その後、2005年の母他界(すでに父も他界)によって、思いのほか早く社長に就任するまでは、跡取り娘と呼ばれながらもマイペースに、趣味やしたい事を楽しみ、自由気ままに自分の世界を広げていきました。でもこれは、今の大きな財産になっております。
1989年、ジュエリービジネスの世界に入りました。
高校を卒業後、大阪市にあるジュエリービジネスの専門学校に入学しました。
初めて色彩学に触れたのも、ここに通っていた時です。もう、25年が経ちました。
身の回りには色が溢れ、その重要性を折に触れ見聞きしたいるのに、
その色には実態が無いと知った時の驚きは、今でも鮮明に覚えています。
『色は、光と物体と人の視覚とが作用し合い引き起こる現象であり、現実ではない』と。
1991年までの2年間、大阪ミナミの地下にある宝飾店で働きました。
ジュエリーと人との出会いに立ち合わせていただく度、色彩学には、何か大切なものが欠けている事を確信していきました。
つまり宝石には、色彩だけでは無く、輝き・素材(地金など)やデザイン、そして職人の手、これらが善循環することで生み出される美しさのバリエーションが、実に豊富に存在することに。
そうか、これだったのか・・・!
と、私にとって色彩学が物足りなく感じたモヤモヤが晴れました。
また、何億年も前の地球に誕生した宝石が目の前にあることの神秘や、ジュエリーの長い歴史が育んだ文化や物語に触れ、ジュエリーの深遠な魅力に引き込まれていきました。
手の中に納まってしまう小さなジュエリーが果たす役割は大きく、
ご縁あって出会えたお客様の人生の大切な瞬間に立ち会えることは
とても幸せで、光栄なことだと思っています。
- 思いを込める
- 自分を表現する
私にも、そんな意味を込めて贈ったジュエリー贈られたジュエリーがあります。
大切な誰かと、自分自身と、その間に。
またこの大阪時代は、肌トラブルとの衝撃的な出会いでした。(嬉しくなーい!)
田舎育ちの私にはお水が合わなかったのか空気なのか、顔中がブツブツだらけで、最終的に唇のふちが水ぶくれだらけになり腫れ上がっていました。
痒いし痛いし、職場である難波の宝石店に立つのも恥ずかしくて辛くて、あの状態にだけは絶対に戻りたくないです。
児島に帰ってからも、何年も皮膚科に通っていました。
それに比べたら、無添加コスメに出会えた今は、本当に幸せです。
1997年にGIA.GGを取得し、一先ず宝石のプロとしての基礎教育は終えたのかな。
このプログラムは、なかなかハードなものでした。
無色の(実際には色を帯びている)ダイアモンドでは光の美しさ、
有色のカラードストーンでは豊かなカラーバリエーション、
と言ったところはエンドユーザーさんにも興味を持っていただけると思います。
マニアックな(もとい、プロ的な)ものでは、
宝石学の基礎知識や鑑別方法を筆頭に、
ジュエリーコーディネートや貴金属や宝飾品加工の知識、
マーケティングや色彩心理学(科学的アプローチ)そして光学、
宝石にまつわる歴史的なエピソード、
宝石商として人としての倫理観やプロ意識、等々・・・を網羅したものでした。
今も、各種セミナーを受けながらブラッシュアップに励んでいます。
まだまだ続く・・・です。
2000年11月に中学校の同窓会へ出席し、卒業以来の再会がきっかけで、
2001年3月に交際2ヶ月弱で我ながらビックリのスピード入籍、そして翌月挙式。
人生、何が起こるか分からないものですねぇ。ほんとに、ほんとに。
その同窓会まで、夫とは高校も一緒だった事を忘れていたくらいなのですから。
2005年、市ヶ谷かをる先生とイメージコンサルタントという仕事に、出会いました。
市ヶ谷かをる先生は、アメリカ生まれのカラーコーディネイト法をいち早く日本人向けにアレンジし、独自の理論(Circle Color System)を確立なさいました。
日本のカラー界の草分けとして20年の長きにわたり、一流企業やトップエグゼクティブをクライアントに持たれてらっしゃる、超一流のカラー&イメージコンサルタントです。
熱望していた出会いを、やっと得ることができました。
倉敷市児島に住む私が先生に出会えたことすら不思議で、衝撃的な感動でしたが、イメージコンサルタントの存在を知った時の『コレだ!』という直感にも、鳥肌が立ちました。
- 誰にも、その人ならではの魅力があって、それをプロとしてお伝えできる
- お客様をもっと素敵にしてさしあげられる
- 私のようにコンプレックスの多い人のお役に立てるかも知れない
お客様にも私にも、幸せな笑顔が溢れたコミュニケーションを生み出すことができそうで、ワクワクしました。
ジュエリーも、自分へのご褒美であったり愛する人への贈り物であったり、と
大切な人への思い・心のやりとりが必ず伴っています。そして、女性を美しくする!
私はホワ〜ンとした雰囲気で清楚な世間知らずのお嬢さん育ちに見られる事が多々ありますが(あぁ・・・これを読んだ友人たちはお腹を抱えて笑うはず・・・)、
人生というものは、必要な時に必要な出来事を用意し、必要な学びを与えてくれるのでしょう。
両親や親友との死別や自然災害(以下、自粛)など、人との出会いや命の尊さを考えさせられる出来事が、私には年齢の割りに多いように思います。
同2005年、気付けば1948年創業の跡取り娘として、社長就任。お役目達成です。
受け継いだ長い時間があってこその私が居て、
今ご縁あって出会えている人たちの中の私も居て、
そんな中で私に出来る私らしい事が、少しずつハッキリしていっているようです。
今は、そんな全てが私へのギフトなのだなぁと、思っています。
届けられた直ぐから喜べた事ばかりではありませんでしたけれど・・・(^^;
これを読んでくださっているあなたには、どんなギフトが届けられているのでしょうか?
(続く、かも)
- 長々とお付き合いくださりありがとうございます。
よろしければ私にメッセージなどいただけると嬉しいです。→こちらから
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- 1971年 倉敷市児島に誕生
- 1990年 ジョワ宝石ビジネススクール卒業(大阪市中央区)
- 1990年 有限会社オギノ宝飾店、入社(大阪市中央区)
- 1991年 上記退社後、弊社へ入社(倉敷市児島)
- 1993年 弊社、取締役に就任
- 1995年 井上恵子フローラル・アートスクール卒業
- 1996年 フラワーアレンジメント教室開設(〜2001年)
- 1997年 GIA JAPA大阪校(通信制)にて米国宝石学会GIA.GG取得
- 2001年 結婚
- 2005年 弊社、社長に就任
- 2006年 カラー&イメージコンサルタント資格取得(C&I ICHIGAYA)
GIAパールプログラム終了(Pearls and Pearl Grading Certificate取得)
GIAジュエリーデザインベーシック終了 - 2009年 有限会社マリアージュ・オオヒラのHP開設
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